生け贄を探す脳~理不尽な集団社会の形成と生存戦略~


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※注意!当記事は物語形式で展開されておりますが、解釈によっては、気分を著しく害する不快な表現が含まれています。

 

CONTENTS

 

クロイ:あるところに、動物たちの住む村がありました。

 

そこでは未知の感染症が蔓延していて、毎日たくさんの動物たちが命を落としていました。

 

王様のライオンは、動物たちを集めてこう言いました。

 

「この不幸は、神が我らの罪を責めているからであろう。

されば我らのうちのもっとも罪深い者を生け贄に捧げ、神の怒りを鎮めなければならぬ!

今はめめしい弁解をやめて、各々自分の犯した罪を懺悔(ザンゲ)しようではないか。」

 

そういってライオンは『自分が罪のない羊を食べてしまった』ことを懺悔すると、それを聞いたキツネが、ゴマをすって言いました。

 

「陛下、それはあまりにも良心的過ぎであります。

あの醜い羊どもにとって、陛下に召し上がって頂けることは大変な名誉だったに違いありません!」

 

それから次々にトラ、クマ、ヒョウなどの実力者たちがおざなりの懺悔をしていきましたが、いずれも深く追求されることはありませんでした。

 

そして順番は、ロバへと回ってきました。

 

「いつでしたか…私がお坊さんの所有地を通ったとき、腹ぺこだったので、そこに生えている雑草を舌の広さほど刈り取ってしまいました。

私にはそのようなことをする権利などなかったのですが…。」

 

それを聞くと、動物たちは口をそろえて言いました。

「有罪!」…と。

 

 

クロイ:「初めまして…来ていただけて嬉しいです。

私は、公認心理士のクロイです。

 

なるほど…

これまでよく、頑張ってきましたね。

大変でしたよね?」

 

そういうとその女性は、一枚の写真をテーブルに置いた。

 

クロイ:「私も同じ、あなたの"仲間"です。

私があなたをサポートします。

一緒に、この腐った世界を生き抜きましょう。」

 

生け贄を探す脳~理不尽な集団社会の形成と生存戦略~

 

業績転落から2年...

ストレスチェックに引っ掛かった僕は、会社の命令でカウンセラーによるカウンセリングを受けさせられる羽目になった。

 

こんなことをしたって、どうせ無駄…

僕にとってはもう…何もかもがどうでもよかった。

 

クロイ:「一緒に、この腐った世界を生き抜きましょう。」

 

テーブルに置かれた写真…そこには一人の男性が写されていた。

 

自分が周りと違うことを認識したのは、小学校中学年くらいからだったろうか…

僕は、"性別"というカテゴリーで自分という存在を一括りにされることに強い憤りを感じていた。

 

別に好きで男に生まれてきたわけじゃない。

だからといって、女になりたいわけじゃない。

 

世の中には、僕のような"思想"を持つ人間が、1000人に1人くらいの割合で存在しているらしい。

 

彼ら彼女らは自身のアイデンティティを誇り、自らを"クィア"と呼ぶことで、その"思想"を"性別"として世界の人々に認知させた。

 

だからといって…別に何かが変わったわけじゃない。

今日も僕は自分を殺すことで社会に溶け込み、ただ与えられた役割を果たす日々を過ごしている。

誰かからの氷のような眼差しに怯えて、生存のために"良い人"を演じながら…

 

 

僕:「…あなたのような人に、実際に会うのは初めてです。」

 

胸をなでおろすと、僕は自分のことを話し始めていた。

まるで、そうすることが自然の流れかのように感じて、とても心地よかった。

 

僕:「…10年です。

死に物狂いで頑張って、ようやく掴み取った居場所だったんです。

 

クロイさん…"欠陥品"とみなされた僕たちのような人間にとって、新天地で生きることがどれだけ大変なことなのか…あなたならわかりますよね?」

 

クロイさんは少し間を置くと、立ち上がってコーヒーメーカーの前へと向かう。

 

クロイ:「飲み物を出していませんでしたね。

コーヒーは飲めますか?」

 

カッコつけてるわけじゃない…

僕はただ…脂質と糖質の摂取を抑えているだけだ。

 

僕:「はい…大丈夫です。

あの…ブラックでお願いします。」

 

クロイさんは少し微笑むと、コーヒーを作りながら話し始めた。

 

クロイ:「世の中に自分が『100%男性』や『100%女性』と胸を張って答えられる人なんて、実際のところ、そんなに多くはないですよ。

 

みんな、心の性別は"白か黒"ではなく、多くの場合"グレー"なんです。

 

しかし、この配分が平均値を逸脱した場合、周囲がどんな反応をするかは…ミクサさんの経験してきた通りです。

 

なぜ、このようなことが起こるのか…考えたことはありますか?」

 

苦い経験が思い起こされて、僕は少し不機嫌になる。

 

僕:「得だからじゃないですか?

集団の中に"弱い立場の人"を敢えて作っておけば、自分が窮地に陥ったときに、その人を"スケープゴート"にできますから…

 

いや…そもそもなぜ"スケープゴート"が必要になるんだ…?」

 

カチャ…

 

僕が考えていると、クロイさんがコーヒーを持ってきてくれた。

 

クロイ:「それは私たちの脳が、そう行動させるように進化したからですよ。

 

オーバーサンクション

僕:「進化ですか?

…それじゃ、『いじめ』や『ハラスメント』をすることは人間が生きていくうえで必要な生理的な行動になってしまいますよ…。」

 

クロイさんはコーヒーを一口飲むと、真剣な顔で話し出した。

 

クロイ:「私たち人間は力が弱く、足も遅い動物です。

現代ではその欠点を技術が補ってくれていますが、狩猟採集時代はそうではありませんでした。

 

獰猛な肉食獣がはびこる世界を生き抜くために、人類は『集団で行動する』という武器を発明しました

他の種に比べて高度な社会性を築けたのは、ホモ・サピエンス特有の"前頭葉の肥大化"があってのことです。

 

この大発明により人類は、一人で獲得するよりも安定した食料を得られるようになったと同時に、天敵に襲われるリスクを大幅に軽減できたのです。

 

でも…ここで問題が発生してしまいます。

 

当初は、集団が得た利益は"各々が満足できる配分"で分け合っていたと考えられていますが、そのうち『仲間を欺き、利益を独り占めしようとする個体』『あまり働かずに利益だけを得ようとする個体』が出現し始めたのです。

 

こういった個体を放置してしまっては、集団はまとまらず、やがては崩壊してしまうことでしょう。

集団が崩壊してバラバラに散った人たちは、別の集団との食料の奪い合いや、厳しい自然環境にさらされて淘汰されてしまいます。

 

"集団を崩壊させることなく生き残った人々"…それが私たち現代人の祖先です。

ただ…それゆえに、私たちの体には遺伝子レベルで、ある行動がプログラムされてしまいました。」

 

僕:「それが『集団に害のある個体を見つけて、排除する』という行動ですか…

 

でも、それじゃ悪いのは常に被害者側になってしまいますよ…。

いじめられたり、ハラスメントを受ける側が悪いなんて…残酷すぎですよ。

 

でも、仮にそうだったとしても、最初から害を与えようと思って集団に参加する人なんてほとんどいないと思います。

明らかに能力が劣っていたり、反対に優れ過ぎていたりする場合は、仕方ないのかもしれませんが…」

 

クロイさんは僕の反応を見て、気づいたことを素早くメモ書きしている。

こうやって相談者の考えを読み取っていくのか…。

でもこの感じ…少し違和感がある。

 

クロイ:「確かに、人間性というものは、ある程度深くかかわってみないと知ることはできません。

ただ…それには『時間』という貴重な資源を投資して、『集団を危険にさらすリスク』を負わなければなりません。

 

そこで人々は、"集団との類似性"を指標とすることで、信頼に足る人間を効率的に見抜こうと試みます。

勿論、この試みは大成功したため、人々はこの能力を洗練させ、自分たちのスタンダードから少しでも逸脱した者を徹底的に排除するまでになりました。

 

このような行動は心理学の専門用語でオーバーサンクション(過剰な制裁行動)と呼ばれていて、近年になってようやく注目を集めるようになりました。」

他人への痛みは慣れる!?

 

僕:「集団との類似性ですか…なるほど。

それなら僕は今まで、生きる環境を間違えてしまっていたみたいですね…。」

 

体育会系の人間を積極採用してきたのが僕の勤める会社だった…

自分には向いていないことなんて、最初からわかっていたはずなのに…バカみたいだ。

 

僕:「みんなに合わせてきたことで、僕はみんなに受け入れてもらえました。

 

髪を短く切って、黒に染め、必死に仕事を覚えて、酒を飲んで…結婚もしました。(僕の会社では『結婚すらできない者は人にあらず』という馬鹿げた風習があった。ミアのことは愛しているけど、愛しているのは"人間性"であって"性別"ではない。)

 

でも、それができずに追い出された人たちも、たくさん見てきました。

もし、僕が自分の意志を貫いていたとしたら…

もし、追い出された人たちが会社に残っていたら…

僕たちはどうなっていたと思いますか?

 

クロイさんは迷うことなく答える。

 

クロイ:「おそらく…殺されていたでしょうね。

 

!…

僕は少しだけ動揺するも、すぐその答えに納得した。

 

僕:「まぁ…そうでしょうね。

 

いじめもパワハラも、永遠過激になるのは経験則でよく知っていますから…。

それに、そういう現場もたくさん見てきました…

 

ただ…いつも不思議に思うんです。

 

『他人への痛みは自分へも返ってくる』これは紛れもない事実だと思います。

 

それでも制裁行動をやめないのは、返ってくる痛み以上の利益が得られるからでしょうか?」

 

クロイさんは自分のスマートフォンである画像を検索して僕に見せた。

 

 

クロイ:「ラットの前にレバーを置いて、ラットがレバーを押した際に餌を与える…これを繰り返し行うことで、ラットはレバーと餌の関連性を認識できるようになります。

 

これをオペラント条件づけといいます。

 

人間の場合は、『レバー』が『制裁行動』、『餌』は快楽物質の『ドーパミン』に当たります。

 

『制裁行動』は食事やセックスと同じ

"自身の遺伝子を後世に残すための行動"です。

そういった行動をとったとき、私たちの脳内ではドーパミンが放出されていることがわかっています。

 

心理学者のラッセル・チャーチは、オペラント条件づけしたラットがレバーを押し続けるか実験しました。

ただ、この実験には特別なルールが一つだけあって…

ラットがレバーを押すたびに、対面ゲージの中にいるラットに電気ショックがかけられるのです。

 

もちろん、『電気ショック』は『返ってくる痛み』ですね。

 

電気ショックをかけられたラットは暴れます。

それを見たラットはレバーを押すのをやめてしまうのです。

仲間の痛みがオペラント条件づけを抑制したんです。

 

 

他人の痛みが嫌だという現象を専門用語で刺激般化といいます。

人の脳画像研究は、自分が痛い思いをしたときと、他人が痛がっているのを見たときに同じ部位が活動することを明らかにしています。

 

しかし、この抑制効果は実験を繰り返すと急速に失われてしまいます。

非常に残念なことなのですが…他人の痛みは慣れてしまうのです。」

 

 

学者の行うこういう実験には注意が必要だ…

僕たちは権威を目の前にすると考えることを放棄してしまう。

医者の言うことを何でも信じてしまう患者のように、僕たちは権威ある人に簡単に騙されてしまうんだ。

 

僕:「ラットがレバー押しをやめたのは、単にビックリしただけという可能性はないんでしょうか?」

 

クロイさんは僕の疑り深い反応をさっとメモする。

 

クロイ:「勿論、そう反論されることは当初から想定されていました。

 

この実験には続きがあって、あらかじめレバーを押すラットに電気ショックを経験させておくことで、抑制効果は強化され、持続的なものになりました。

 

僕:「他人の痛みを理解するのに、わざわざ自分が傷つく必要があるなんて…生き物というのは不便ですね。」

 

理不尽な社会の生存戦略

 

クロイ:「オーバーサンクション…集団を守るために備わったこの反応は、対象の個体が死ぬか、集団から出ていくかするまで際限なく洗練され続けます。

 

無理だと思ったら意地を張らずに逃げることが重要ですね。」

 

そのうち僕は、新しい環境下に放り出されることになる。

『死なないために何をするべきか?』専門家の意見を聞いておくとしよう…。

 

僕:「僕には外の環境で生かせるスキルがありません。

家族の人生を背負う身として、心中穏やかでいられないのが正直な状況です…。

 

クロイさんが僕なら、どのように行動しますか?」

 

クロイさんは少し微笑むと、メモ用紙を挟んでいるクリップボードをテーブルにうつ伏せにして置いた。

 

クロイ:「それがミクサさんのストレスの正体ですね。

 

私ならまず、家族の方に説明して、状況の理解と協力を要請します。

『自分の身は自分で守る』生き物としてこれは当然のことです。

薄情かもしれませんが…余裕がないのに、他人の人生まで守れません。

 

あくまでも、私の考えですが…。」

 

クロイさんは話を続ける。

 

クロイ:「現在では、オーバーサンクションが起こりにくい集団についても、いろいろとわかってきています。

 

まずは類似性です。

国籍、年齢、性別、宗教、趣味趣向などなど…様々な価値観を持つ人からなる集合体は、類似性が低下するため、排他的な行動が起こりにくいです。

 

それから、年間休日は多いに越したことはありません。

週3日顔を合わせる程度の相手を攻撃しても、対象者がいなくなることで得られる利益は、毎日顔を合わせる相手に対するよりも低下します。

 

学校のいじめは無くならないのに対し、塾や予備校でのいじめが皆無であることの意味を、私たちはもっと考えなくてはなりません。

 

複数集団に同時に属することは、前向きに検討するに十分値します。

ただ…」

 

クロイさんはそこで言葉を切った。

 

僕:「類似性を低下させれば集団の一体感も損なわれる…

複数集団に同時に所属するのは、"正社員"という働き方を希望する人にとってはミスマッチ…

つまり、『収入』には目をつむらなければいけない…ということですね?」

 

クロイ:「はい。

この戦略は、私のように"自分が突出した能力のないアンノーマルな存在であることを認める人"が自殺しないで済むためのものです。

 

生きるか死ぬかの状況に、見栄やプライドは邪魔ですから。

 

ヌーというウシ科の動物は、巨大な群れをつくることで生存確率を高めています。

しかし、群れの外側にいては捕食者に狙われてしまうので、彼らは捕食者に一番近い位置に置かれる羽目にならないように、それぞれたえず努力しているのです。

 

確かに、群れの中心は安全かもしれませんが…

"そのポジションを得ようとしてくる挑戦者たちと絶えず死闘を繰り広げなくてはならない"というデメリットが付きまといます。

 

この争いで重要なのは、群れの中心部を陣取るのではなく、群れの一番端を避けることです。

 

生きるために『優秀になる』必要なんてありません

私たちは愚か者にならなければ、それだけで十分なんです。

 

でも…頂点を目指さず最底辺を避ける生き方は、これまで国が私たちに教育してきた『西洋式資本主義』の価値観に反します。

価値観を変えられるかどうかは、ミクサさん次第です。」

 

実際のところ…はなからこの国の教育が正しいとは思っていなかった。

大金を稼ぐことが重要だとも思わない…ただ『他に良いアイデアがないから』という理由で、これまで僕は『みんなと同じ』を生きてきた。

 

"殺されないように生きる"

このシンプルな発想が、今の僕にとってとても重要なものに思えた。

 

僕:「なるほど…前向きに考えたいと思います。」

 

そういって僕は時間を確認する。

 

僕:「すみません…

今日はこれから仕事なので、これで失礼します。

 

あの…今日は想像していたよりも有意義な時間が過ごせました。

…ありがとうございます。」

 

そういって僕は、一口も口を付けずにすっかり冷めてしまったコーヒーを急いで飲み干す。

「苦い…」心の中で、そう嘆きながら。

 

僕:「ごちそうさまでした。」

 

僕は立って出口へと向かう。

 

クロイ:「今は、"その姿"で職場に行けているのですね?」

 

クロイさんのその言葉に、思わず足が止まる。

 

僕:「いえ…僕にそんな度胸はありませんよ。」

 

そういうと、僕は髪の毛を後ろにかき上げる。

 

クロイ:「生きにくいですね…。」

 

クロイさんは残念そうに言った。

 

僕:「僕の経験した出来事なんて、大したものではないですよ。

 

もっと辛い経験をしている人が、この世界には沢山いますから。

 

でも…ありがとうございます。

 

それに…昔と比べるとこの会社も、随分生きやすくなったんですよ。」

 

僕は軽く一礼すると、カウンセリングルームをあとにした。

 

会社の規模が急速に縮小していくと同時に、僕はこの社会の秩序も急速に失われているように感じていた。

 

今日も僕は、与えられた役割を"良い人"になったつもりで演じる。

 

この演劇の終演を惜しみながら…

「壊れてしまえ」と願いながら。

 

To be continued…

 

※当記事の執筆においては、下記資料を参考にさせていただきました。

・『ヒトは「いじめ」をやめられない』中野信子著

・『あなたの中の動物たち』渡辺茂著

・『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著

・『イソップ寓話の経済論理学』竹内靖雄著